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東京地方裁判所 昭和33年(合わ)282号 判決 1958年12月17日

被告人 中谷一雄

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(事実)

一、被告人の経歴

被告人は、昭和九年四月十四日富山県氷見市中町において、同所在住の左官職である父中谷喜一郎と母同きくの長男として生まれ、昭和二十五年三月氷見北部中学校を卒業後、おおむね父喜一郎のもとにあつて左官職の手伝をしていたが、その頃からほとんど毎夜のように外出しては碁や麻雀などの遊び事に耽り、加えて昭和三十一年頃からは酒をたしなむようになつて、とかくに金使いが荒く、昭和三十三年五月中旬頃には界隈の飲食店等で飲食した代金の未払額が、合計一万円をも超えるというような乱脈ぶりであつた。そこで、そのあげく、この際いつそのこと上京してひと働きしようと思い立つた被告人は、たまたま同じ氷見市の出身であり、しかも以前、被告人の実父喜一郎のもとで左官職の見習いとして働いたことのあるA(当二十九年)が当時、妻子と共に都内北区滝野川町一丁目五十八番地に居住して左官職をしていたのをさいわいに、同年五月二十一日頃、同人に対し就職依頼の手紙を送つたところ、折り返しAから酒や勝負事を慎しみ金銭の浪費しないこと等の条件が守れるならば面倒を見てやる旨の返事があつたので、両親の承諾も得て単身取り急ぎ上京したうえ、同月三十一日頃から右A方に身を寄せ、同家二階十畳の間に起臥して、同人と共に左官の仕事に出歩き、日給七百円(七月から七百五十円)を得て、そのうち二百円ぐらいを食費としてA方に納めていた。

二、被告人とBとの情交関係

ところが、被告人は、右A方に同居するようになつてからも依然として素行を慎まず、女遊びや飲食、娯楽等のために収入の大半を蕩尽してしまう始末に、これを見かねたAからもしばしばその不心得をたしなめられていたが、他方その間、上京後間もない同年六月上旬頃から、ひそかに右Aの妻B(当二十四年)の美貌に心を引かれ、浮気心を募らせていたが、たまたま同年七月三日午前九時頃、腹痛のため仕事を休み右A方二階の居室でひとり臥床していた際、これを案じて看護のため階下から上つて来た右Bの隙を窺い、同女を寝床に引き入れてこれと情交関係を結んだほか、さらに同月十八日昼頃、頭痛を装つて仕事先を早退しひとり帰宅したうえ、同日午後三、四時頃Bを右二階の居室に連れ込んで再度同女と情交を遂げ、しかもその後においても前記Aの目を盗み、機会を窺つては右Bの身辺に迫り、執拗に情交を挑んでいたが、その都度、同女に拒絶されてその意を果すことができないでいた。

三、罪となるべき事実

被告人は、以上のような経緯のうちにあつてもなにげない態を装い、Aと共に左官の仕事を続けていたが、昭和三十三年八月四日の日も午前五時頃に目をさまし、暫くたばこをのんだりなどして、午前五時三十分頃平素のとおり仕事に出かけるつもりで寝具をたたみ、服装を整えたりなどして階下に立ち降り台所横の厠で用便後、二畳間に立ち入ろうとした際、台所の流しの近辺にBが泣顔で立つているのを見かけたが、Aと夫婦喧嘩でもしたのだろうと軽く見過して、無言のまま右二畳間を経て玄関に廻り、折りから配達されていた東京タイムズ朝刊紙を手にして三畳間に入つたところ、意外にも隣室四畳半の間には、Aが寝床の上にあぐらをかき、腕組みをしながら台所脇の前記二畳間の方を見すえている姿が目に入つた。しかし被告人は、Aのこの不機嫌もBとの夫婦喧嘩のためであろうと思つて格別気にも留めず、そのまま、三畳間に坐つて、手にしていた右東京タイムズを読み始めようとしたとたん、いきなりAより、「一雄、お前も親父に似てどうもこうもならん道楽者だな。おれはもうお前の親父に義理もへちまもないぞ。お前Bと何遍かんぼ(情交関係の意)した」と言葉鋭く問い詰められたのであまりにも突然のことに吐胸をつかれた被告人は、即座に答える言葉も出なかつたが、重ねてAから「お前Bと何遍した」と返答を迫られたので、とつさに「しない」と答えて言い逃れようとしたところ、すかさず同人より「嘘つくな。ろくな仕事もできんどつてませた真似ばかりするな」ときめつけられてしまつた。他方その頃には、既に気配に気付いたBも台所から出て来て、Aの後方に無言のまま気遣わしげに佇んでいたが、被告人は、Bと視線を合わせた瞬間、同女が被告人との情交関係を夫Aに洩らしたものと推量し、窮余、Aに対し「もし、していたらどうだ」などと言い返したため、いよいよ激昂したAが声をふるわせ、「何、この野郎、いい度胸だな。人の女房取つたら取つたで、どうするか覚悟があろう」と怒号しながら、いきなり手拳を以て被告人に殴りかかつて来たので、狼狽した被告人は、とつさに足を挙げてAをその場に蹴倒すとともに、事態かくなるうえは、激昂したAのためにいかなる制裁を加えられるやも知れず、この際むしろ機先を制して同人を制圧するにしかずと考え、たまたま自己の傍らにあつたミシン用木製丸椅子(昭和三三年証第一二一二号の一は、その破損したもの)の脚の部分を両手に握り、折から妻Bが制止するのもきき入れず、同女を突きのけ起き上ろうとしていたAめがけて襲いかかり、乱暴狼藉の振舞いに及んで遂に同人をその場に昏倒させるに至つたが、その際この光景を目撃していた右Bが驚愕のあまり、大声で「人殺し」と叫んだので、これに気付いた被告人は、やにわに同女めがけて飛びかかり、前記二畳の間においてBの首を腕で絞めつけ、あるいは仰向けに倒れた同女の喉を手指で押さえ、又は悲鳴をあげて玄関近くへはい出そうとするBを後に引き戻すなどして揉み合つているうち、たまたま右二畳間北側の階段下に先夜、被告人がズボンの繕いに使つた切出小刀一丁が鞘入りのまま(昭和三三年証第一二一二号の二は、その鞘入りのもの)置いてあるのを見かけるや、この際Bを沈黙させるためには、同女を殺害するに至るもやむなきことと思い定め、とつさに右切出小刀を取り上げてその鞘を払い、これを右逆手に握つてBの頸部、左肩部、背部等を、所かまわず繰り返し強く突き刺し、よつて右各部位に深さ一糎ないし一〇・五糎に及ぶ合計十六個の刺創を負わせ、その結果、同女をして左胸部背面刺創(大動脈弓損傷)に基く失血のため即死させるに至つたが、折からその頃隣室四畳半の間に昏倒していた前記Aがうめき声を揚げながら身悶えしたので、これに気付いた被告人は、Aが正気に返つて騒ぎ出すようなことのないようにするため、この際いつそのこと、同人をもB同様に殺害してしまおうとの決意をかため、即座に同人の身辺に立ち戻つたうえ、前記切出小刀を以て、その場に仰向けに倒れたまま全く抵抗の気力もないAの胸部、左背部等を数回強く突き刺し、よつて同人の胸部及び左背部に深さ一〇糎ないし一一糎余に及びいずれも心臓又は肺臓に達する合計七個の刺創を、また、その左上腕部に深さ筋肉内に止まる刺創一個を負わせ、その結果同人をして心臓刺創に基く失血のため即時同所において死亡するに至らしめ、もつていずれも殺害したものである。

(証拠)(略)

(弁護人及び被告人の主張、弁解に対する判断)

弁護人は、(一)被告人は、本件各犯行当時、B及びAのいずれに対しても殺意を有していなかつたものである、(二)被告人のAに対する木製丸椅子による殴打の所為は、同人から加えられようとした急迫不正の侵害に対するやむを得ない防禦方法としてなされた正当防衛行為であり、又同人に対する切出小刀による刺傷の所為は、これ又、同人から加えられようとした、ないしは加えられるものと誤想した急迫不正の侵害に対するやむを得ない防禦方法としてなされたものであつて、ただその程度を超えた点において、過剰防衛行為として論ぜらるべきものである、(三)以上のほか、なお、被告人は、本件各犯行当時、心神喪失又はすくなくとも心神耗弱の状態であつたものである旨をそれぞれ主張し、被告人も、また、本件各犯行当時、B及びA両名に対して殺意を有していなかつた旨弁疏するので、以下これらについて順次考察を加えることとする。

(一)  殺意否認の主張並びに弁解について

本件各犯行が被告人にとつてはいわば偶発的なものであり、従つて当時被告人が事の意外な成行に動顛して相当興奮逆上気味であつたことは、前掲各関係証拠に照らしこれを認めるに吝かではないけれども、飜つて右各証拠を仔細に点検考察すれば、(イ)本件各犯行の動機原因は、日頃面倒を見てくれている同郷の先輩の厚い恩義を裏切り、同人の妻と不倫な関係を結んだというその破廉恥的な行為が、ほかならぬその妻本人の口から一朝にして夫の面前に暴露されるに至つた(すくなくとも被告人においては、当時、さように推量せざるを得なかつた)ため、被告人としては、もはや、とうてい言い逃れるすべもない窮地に追い込まれたものと観念せざるを得なかつたことによる自暴自棄的な心理に胚胎するものと解するほかなきこと、(ロ)右各犯行に使用された兇器たる判示切出小刀は、被告人が平素左官の仕事に使つていた刃渡約一一・五糎、刃幅約二・三糎の片刃できつさきの尖つたきわめて鋭利なものであり、しかも、被告人自身においても、もとよりその鋭利なことを十分承知していた筈であること、(ハ)しかも、被告人は、判示のとおり、右の鋭利な切出小刀を以て、Bについてはその頸部、左肩部、背部等の、またAについてはその胸部、左背部等の、いずれも身体の枢要部分を繰り返し執拗に力をこめて突き刺しており、その結果、右各部位に、Bに対しては深さ一〇・五糎に及ぶ合計十六個の刺創を、また、Aに対しては深さ一〇糎ないし一一糎余に及ぶ合計七個の刺創をそれぞれ与えているものであるから、これがためBが左胸部背面刺創に基く失血により、また、Aが心臓刺創に基く失血により、いずれも即死するに至つていることは、まことに理の当然であつて、被告人にとつても決してこれを意外の結果と考えることはできないこと等が認められるのであつて、これらの諸点に本件犯行後における被告人の言動を綜合して考えれば、判示B及びAの両名に対する被告人の殺意の存在はこれを肯認するに十分であると言わなければならない。

(二)  正当防衛及び過剰防衛の主張について、

被告人が判示木製丸椅子を以てAに対し乱暴狼藉に及んだ所為は、単に本件各犯行に至る一過程としてこれを評価すべきものであるところ、そもそも該行為自体について見るも、既に判示したとおり、被告人は、激昂した松雄の制裁を恐れ、その機先を制する意図の下に、折から制止しようとする妻Bを突きのけ起き上ろうとしていたAめがけて襲いかかつたものであるから、そこにはなんら被告人に対するAの急迫不正の侵害行為は存在していなかつたのみならず、さらにまた、被告人が判示切出小刀を以て右Aを突き刺すに至つたのは、隣室四畳半の間に昏倒していたAがうめき声を揚げて身悶えしたので、同人が正気に返つて騒ぎ出すようなことのないようにするため、いつそのこと同人をも殺害してしまおうとしてしたものであつて、現に被告人がAの身辺に近付いた際には、同人は、その場に仰向けに倒れたまま気息えんえんとして全く抵抗の気力もない状態にあつたものであるから、被告人の右所為を目して正当防衛ないし過剰防衛行為をもつて論ずる余地は全くないものといわなければならない。

(三)  心神喪失、心神耗弱の主張について、

なるほど、証人中谷喜一郎の当公廷における供述並びに医師松井潔作成の証明書によれば、被告人の父方実祖父中谷周治は、女道楽に耽つたあげく、精神に異状を呈し一年間ぐらいで死亡しており、被告人の実父中谷喜一郎もまた、女遊びには放埓なたちで、黴毒、淋毒などの性病に感染したこともあることが窺われる一方、前掲各関係証拠によれば、被告人自身もその身持が思わしくなく、郷里氷見市に在住の頃から多数の売春婦や旅館の女中などと関係を結んでいたうえに、今次上京後も一再ならず売春婦と性交を重ねていたあげく、遂には、判示のとおり、恩義ある同郷の先輩Aの妻Bに対してさえも不倫の行為に及んだものであることが認められるから、これらの点や本件各犯行の唐突にしてしかも残虐きわまるものである点等に鑑みれば、弁護人が右犯行当時における被告人の精神状態に付て懸念を抱くのも一応もつともであるけれども、他方、東京拘置所長大井久の東京地方検察庁検事安西温に対する「梅毒反能検査の結果について」と題する回答書に添付された財団法人東京顕微鏡院作成の被告人に対する梅毒反能検査成績報告書によれば、被告人の血液に付ての黴毒反能検査の結果はすべて陰性であることが確認されるし、また、被告人の当公廷における供述(第四回公判期日)、被告人の実父中谷喜一郎及び実母中谷きくの司法警察員に対する各供述調書(中谷喜一郎については昭和三十三年八月十八日附の分)、並びに被告人が上京以来に左官の仕事を共にしていた佐藤満の司法警察員に対する供述調書を綜合すれば、被告人は、生来格別の大病にも煩わされずにおおむねその健康を保持し来り、小学校及び中学校を通じての成績もほぼ上位に属し、また、その性格は、いずれかといえば無口かつ内気で後日長ずるに及んで酒をたしなむようになつてからは、時として粗暴な振舞いに出でたこともあつたようだが、平素は概して隠かであり、左官としての腕まえも一応常人なみで、従来、仕事の上では格別人から後指をさされるような失策を演じたこともなかつたことが窺われるほか、更に前掲各関係証拠によつて認め得られる、本件各犯行当時並びにその前後にわたる被告人の挙措言動、特に、(イ)被告人が判示のような経緯から、Aの憤激の情を察知し、機先を制していち早く木製丸椅子を以て同人に襲いかかり、次いで、これを見て大声を揚げて救いを求める同人の妻Bに飛びかかつてこれを制圧し、その間たまたま判示切出小刀を発見するや、素早くこれを取つて以て一気に同女を殺害し、さらにその際傍らに倒れていたAが瀕死のうめき声を発するや、とつさにその正気に立ち返えることを虞れて、また、忽ち同人を襲つてこれを殺害したうえ、なお、そのうめき声の洩れるのを防ぐため、同人の口に有り合わせたズボンをかぶせかける等終始適確敏速な行動をとつていること、(ロ)従つて、また、被告人のB及びAの両名に対する右切出小刀による刺傷行為は決して無自覚な衝動行為ではなくして、明確な意識下において行われたものであるのみならず、右Bに対する襲撃行為を続けながらも、その時すでに戸外において立ち騒ぐ人の気配あるを素早く感知し、犯行直後表入口の硝子戸を細目に引きあけて首をさしのべ、何事ならんと路上にひしめく近隣の者らに対し、「なんでもない、ちよつと夫婦喧嘩をしただけなんですよ」などと言葉巧みに遁辞を構えたあげく、再びその硝子戸を締めきり、台所の流し場に赴いて手についた血を洗い落したうえ、さらに右表口に引き返し、折から駈けつけた警察官の姿に気付くや、とたんに逃走を企てていること、(ハ)しかのみならず、被告人の前掲捜査官に対する各供述調書の記載、第三回公判調書中の供述記載、並びに当公判廷(第四回公判期日以後)における供述等によつても明らかなとおり、本件各犯行の経緯顛末についての被告人の記憶は、相当に詳細且つ鮮明で、右犯行の動機に関する部分を除いては前後矛盾撞着の点が殆んど見当らず、しかも被告人は、判示のとおり、Aの妻Bとの情交関係が暴露して夫Aのためこれを難詰されたことに端を発して右犯行に及んだものと認められるにもかかわらず、かかる不倫の行為が表沙汰にされることに対する羞恥の念と、また、かくては罪責の重かるべきことを惧れる利害打算に基く配慮とから、捜査官に対しては故意に金員盗取の動機を仮装し、終始これを主張して譲らなかつたこと等の諸点に、被告人がこれまでに不眠あるいは幻視、幻聴等の症状に悩んだ経験のないことや、本件各犯行の際には被告人においてなんら酒気を帯びていなかつたことなどを綜合考察すれば、被告人の本件行為は、いずれも通常人の行為として優にこれを理解することができるのであつて、右当時、被告人につき、事物の是非善悪を判断し、且つこれに従つて行動する各能力が全く欠除し、又は著しく減弱していたものとはとうてい考えることができない。

以上の理由により、弁護人及び被告人の前記主張及び弁解は、いずれもこれを採用することができない。

(検察官主張の本位的訴因に対する判断)

検察官は、本件の本位的訴因として、「被告人は、昭和三十三年八月四日午前五時五十分頃、被告人の止宿先であつた東京都北区滝野川一丁目五十八番地左官職A(当二十九年)方階下に於て、就寝中の右Aの枕許にあつた同人所有の白色ズボンから金円を窃取しようとしてこれを引き寄せた際、突然同人が寝返りをうつたのを見て同人に気付かれたものと即断し、この上は同人に暴行を加えて金品を強取せんと決意して、やにわに傍らにあつた木製丸椅子を振り挙げて同人の頭部を約三回強打し、物音に気付いて同家勝手場から現れた同人の妻B(当二十四年)に犯行を発見されるや、その背後から同女の首に腕をかけて後方に引き倒しその頸部を締め付けたところ、同女が悲鳴をあげて救いを求めたため突嗟に同女を殺害しようと決意して傍らにあつた刃渡り約五糎余の切出小刀をもつて同女の頸部、左肩部及び背部等約十数個所を突き刺し、因つて、同女を刺創に基く失血により即死せしめると共に、更にうめき声を出した前記Aも同様に殺害しようと決意して右同様前記切出小刀で同人の胸部及び左背部等約八個所を突き刺し、因つて、同人を心臓刺創による失血により即死せしめたものである」旨の強盗殺人の事実を主張するので、以下右本位的訴因の当否について考察する。なるほど、前掲各関係証拠及び渡部正雄、長井信作の検察官に対する各供述調書、松尾一郎の司法警察員に対する供述調書を綜合すれば、(イ)本件当時被告人の所持金は僅かに四十三円に過ぎなかつたこと、(ロ)被告人は、自分に銀行預金などはないのに、本件の前々日である八月二日夜、都内北区王子一丁目一番地寿司直こと松尾一郎方において飲食した際、同人に対し、「おやじさん、銀行預金は通帳さえ持つて行けば、判こがなくてもおろせるだろう」などと奇問を発していること、(ハ)本件当時、A方階下四畳半の間の洋服箪笥には、施錠のしてない小引出し中に、むき出しの現金一万三千百円と女物腕時計一個が、また、施錠のしてある大引出し中に、財布入りの現金一万九千円と銀行預金通帳七通(預入金高合計五十万円余)がそれぞれしまわれており、且つ当時、被告人においても右A方現金の所在は大体これを察知していたことが認められるし、且つ、ともかくも被告人は、捜査官に対し終始右検察官主張の窃盗の着手行為を認めて渝らなかつたのであるから、これらを綜合すれば、一応、前記本位的訴因を肯認することができるようにも思われるけれども、飜つて前掲各関係証拠及び小林国雄の司法警察員に対する供述調書等を精査検討すれば、(イ)被告人は、上京以来郷里の実父喜一郎に小遣銭をせびつて送金を受けたことが二回ぐらいあるし、また、Aからも三回程小遣銭を借り受けたことがあるうえに、本件当時には、その前々日の八月二日夜、かねて再三にわたり利用していた都内北区滝野川一丁目五番地質商鈴木善六方より、入質中の腕時計一個、短靴一足、ズボン一枚を二千二百二十五円で受け戻し、現に自己の手もとに所持していたものであるから、もし小遣銭に窮したというならば、取り敢えず右各物品を再度入質して一時の金策を図り、その間、Aなり、あるいは国もとの実父なりに別途金策方を依頼することも必ずしも不可能ではなかつたと思われること、(ロ)被告人は、本件犯行の直前である午前五時三十分頃起床して階下台所横の便所に行つた際、既にBが右台所で炊事をしている姿を見かけているし、また、右時刻ともなれば、四畳半の間に寝ているAもいずれ程なく目をさますことの予想される頃合であるうえに、そもそも右A方階下は四畳半、三畳、二畳の僅か三部屋を存するに過ぎない狭隘な構造で、しかも各部屋境の襖はいずれもあけたままになつていたのであるから、当時、いかに被告人が小遣銭の持合わせに乏しかつたとはいえ、ことさら発覚の可能性の大きい右のような危険な時刻を選んで金員の窃取を企てるというようなことは、常識上とうてい首肯できないことで、それならば、寧ろ犯行前日の同月三日午後四時三十分頃、被告人が映画、パチンコ、飲食などに所持金の大部分を使い果し、僅かに金四十三円のみを残して帰宅した際、たまたまAら親子は外出して留守であつたのであるから、このような機会にこそ金員窃取の企てを実行すべき筈であると考えられるのに、敢てその挙に出ていないこと、(ハ)現に被告人は、判示のとおり、B及びAの両名を殺害した後表口前の路上で集まり騒いでいた近隣の者らに声をかけたうえ、更に台所の流し場で手についていた血を洗い落すなどするほどの余裕がありながら、なんら金品を物色もしないでそのまま逃走しようとしていたこと、(ニ)検察官主張の本位的訴因には、被告人が「就寝中のAの枕許にあつた同人所有の白色ズボンから金円を窃取しようとしてこれを引き寄せた際、突然同人が寝返りをうつたのを見て同人に気付かれたものと即断し、この上は同人に暴行を加えて金品を強取せんと決意して、やにわに傍らにあつた木製丸椅子を振り挙げて同人の頭部を約三回強打し」とあるけれども、いかにAに気付かれたものと即断したといいながら、それは、ただ単に同人が寝返りを打つたのを見たというだけのことであつて、別段、Aが目をさましたとか、声を出したとか、あるいは、また、被告人を制止したとかいうわけでもないのに、ただ金欲しさの一念に駆られていたからといつて、Bが身近かにいるのもかまわず、いきなりAの頭を木製丸椅子で繰り返し強打するというようなことは、白痴か又は精神異状者の行為ならば格別(当時、被告人が心神喪失あるいは心神耗弱の状態にあつたものと認められないことは、先に指摘したとおりである)、然らざる者の振舞いとしては余りにも軽卒且つ不自然に過ぎるものと考えざるを得ないばかりか、さらに、また、被告人の犯行当日たる昭和三十三年八月四日附司法警察員に対する供述調書中には、右の引き寄せたという白ズボンの件に関し、「足下の処にAさんの青いズボンと白いズボンが置いてあり、青いズボンは昨日外出するのにはいて出ておりますので、そのズボンを引張りました」との供述記載があつて、実はAが前日外出の際はいていたのは白ズボンであつて、被告人は右白ズボンを引き寄せたのであり、青ズボンはAを切出小刀で突き刺した後同人の口にかぶせたのである旨の後日における供述(但し、同年同月五日附の司法警察員に対する供述調書には、グレーのズボンを口にかぶせた旨の供述記載もある)との間に重要なくいちがいが存するうえに、被告人の同年同月九日附検察官に対する供述調書によれば、被告人が新聞を持つて三畳の間に立ち入り、東隣りの四畳半の間に箪笥の方を枕にして寝ているAの直ぐ横前ぐらいに坐り、Aの枕もと横で被告人の坐つている近くにおいてあつた白ズボンを、被告人の前に一尺ぐらい引き寄せた際、Aが寝返りをうつたので、直ちに木製丸椅子を両手に持つて立ち上り、同人の頭部めがけて殴りかかつたことになつているが、司法警察員作成の検証調書に添付されている写真六及び九を仔細に点検すると、右両写真中にある白ズボンは、被告人の右供述から推察されるような位置(前記三畳間の四畳半寄りの箇所)にはなくて、かえつて、右三畳間西隅のミシンの脚附近から同室の中央辺にかけて、あたかもぬぎ捨てたままのような状態で置かれてあることがわかるのであつて、これらのことを考え合わせると、被告人がAの白ズボンを引き寄せ、そのポケツト在中の金員を探ろうとしたという捜査官に対する供述は、にわかに措信し難いものといわなければならないこと等の諸点が看取され、従つて被告人が当時A方の金員を奪取しようとの意思を有し、且つその実行に着手していたものとはとうてい考えられない筋合であるから、かかる事実の存在を前提とする検察官の本位的訴因は、結局、その証明がないものとして排斥を免れないものであるが、既に殺人の予備的訴因につき有罪の認定をしているので、右本位的訴因については、特に主文において無罪の言渡をしない。

(法律の適用)

被告人のB及びAの両名に対する判示各殺人の所為は、いずれも刑法第百九十九条に該当するので、ここに被告人の刑責いかんについて考えてみると、なるほど、被告人は、ようやく二十四齢に達した前途ある青年で、格別の前科もないばかりでなく、また本件はいわば偶発犯の範疇に属すべきもので、B及びAに対する被告人の殺意も、事態の推移変遷につれて逐次生じていつたものと認められる等、被告人のために斟酌すべき若干の有利な事情もないわけではない、が既に関係各証拠に基き詳細に説示したとおり、被告人は、上京以来、自己の遊興浪費の悪癖をいささかなりとも矯正しようとする努力さえも払つた形跡がなく、わざわざ国もとから被告人を引き取り同居せしめたうえ、日常の生活に、あるいは左官の仕事に、何くれとなく親身の世話を惜しまなかつた善良なA夫妻の恩義を裏切り、しかも無心に憩う幼児護の面前において人をして目を蔽わしめるような残忍且つ冷酷な方法をもつて一気に右夫妻を殺害し去つたものであり、また、その犯行たるや、夫Aの目を忍んで強引にその妻Bとの間に結んだ情交関係をAに感付かれ、きびしく追求難詰されながら、いささかも自己の非を反省しようとしないばかりか、かえつていきりたつAの機先を制し、無態にも同人に木製丸椅子で殴りかかつたことに端を発したものであつて、その間、同情すべき一点の余地も見出し得ないものと言うのほかなく、しかも今やこの残虐きわまる被告人の所為のため、一瞬のうちに父母を失い、一介の孤児として苦難多き境涯に直面せざるを得なくなつた幼児護の身の上を思い、あるいは他の肉親縁者の悲憤の情を推察し、且つは、また、本件犯行後における被告人の挙措言動等をも考慮するなど諸般の状況に照らし、本件被告人の刑責についてはまことに重大なものありと断ぜざるを得ない。そこで、以上被告人の各所為は、刑法第四十五条前段の併合罪であるが、被告人に対しては、判示Aに対する殺人の罪につき、その所定刑中死刑を選択処断するのを相当と認めるので、同法第四十六条第一項により、被告人を死刑に処し、訴訟費用は、被告人が貧困のためこれを納付することのできないことが明らかであると認められるので、刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して、全部これを被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口勝 伊東秀郎 柳瀬隆次)

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